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Japanese

VOCA展用プレゼンテーション資料

中根 秀夫
作品について

私の作品の場合、それが一度に見えるイメージではないので、作品の一部としてプレゼンテーション用の書類を8部作成し、審査員に渡すようにお願いしている。実際には作品以外のものは審査時に見ないといった実行委員もいる。

 

展示イメージ

plan

絵画、写真、それ以外のもの
Painting, Phptograph or Otherness
40.6 x 28.8cm 16枚ずつ3種類
カラーコピー、ラミネート
この作品について

 

image

 

この三種類のイメージは、全体を想像させない曖昧な部分の繰り返しである。これらは、自作のペインティングを拡張して作ったイメージであり、色々なプロセスを経て、「見る人と作品との関係」と「作者と作品との関係」を可能なかぎり分離させるための試みである。

色画用紙に、「刷毛で白い絵の具を横方向に重ねていく行為」の繰り返しによりペインティングは完成される。この作品を「作者自身の考えや体験」からできる限り切り離し、見る人の中に「完結した体験」を再構築させる手段として、以下、写真やコピーなどの機械を介在させる。

出来上がった絵画のディテールを、コンパクトカメラを使って少しづつ位置をずらしながら写真におさめていく。全体像を追い続けながら、16枚はひとつの像を形成しない。記念写真が個人的な記憶を喚起するように、写真という枠組み自体がもつ、「対象と見る人との完結した関係」をつくるため、フォーマットとして写真を用いている。

写真に収められた絵画自体は、内的には時間的変化は含まない。左下に刻まれた数字が時間の概念を含むとすれば、一コマづつの時間における露出の違いに見られる光の変化であろうか。その意味では直線的で等間隔な時間の概念は当てはまらない。

最後にカラーコピーを使い引き伸ばされ、写真であることも否定される。絵画、写真と経て、最終的に作られたのは、「見る人の記憶を喚起するという体験」を供給するイメージである。見る人がもし、写真、絵画とプロセスをさかのぼったとしても、イメージの流れは不可逆的であって、私が最初に作り出した絵画には至らないし、その必要もない。私が必要としているのは、作品を見る人が、絵画、写真それぞれにもっているイメージであり、そのイメージを使って、それぞれの記憶にアクセスする「場所」をいかに提供するかである。

 


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