ロンドンのお引越し
10年の月日と友人たちへ
大学の寮は1年経ったら出なければいけないという仕組みです。ただ、大学はいろいろな場所にいろいろなタイプの物件accommodationを確保しているので、結局私はその寮から歩いて30分程の別の寮に移る事に。そう、徒歩で。スーツケースと大きな鞄。
「徒歩で」と書いてあらためて考えていたところ。私が最初にロンドンに住んだのはカムデンという地域で、中心部から北へ5キロ程のところ。大学がロンドンの中心部(正確に言うとやや東寄り)にあり交通機関は地下鉄かバス。私は2階から外の見える赤いバスが好きです(地下鉄は古く...、歴史があるのですが)。渋滞に遭わなければ所要時間は10分。引越し先はカムデンの寮から西2へキロのケンティッシュ・タウン。やはりロンドンの中心から北へ5キロ、12〜3分。ロンドンはバス網bus serviceが発達していると言われますが、考えてみるとロンドン中心部からあらゆる方角へ、放射線上(つまり直線上)に配置されているサービスなので、街と街を「横に」つなぐバスは無いわけです。それで「徒歩」。
ガタゴトとスーツケースを押しながら(もしくは引きながら)歩いてみると普段は気がつかない事がわかるものです。幹線道路を横切ると、ある所からパタッと風景が変わる。街並が少しすすけている。そこからは労働者階級working classの住む地域、白人の…。地図(A to Zというのが一般的)と見比べながらさらに歩く。目的地へ。
見上げる。さらに見上げる。
やたら高い建物が1棟。
subject: 高層団地 date: 2005年11月9日 22:34:12:JST
鉛筆を立てたようにひょっこりと1本。1棟というよりは唐突な感じなのです。正確には何階建てだったかも覚えていないけれど。戦後に建てられた比較的新しい(なんと言ってもロンドンでは築100年200年はあたりまえなのですから)その建物も、やはりなんだかすすけています。もともと高層団地high-rise housing-complexとして建てられたものだそうですが、そもそも何故こんな所にそんなものを建て、それがどういう経緯で大学の持ち物propertyとして学生寮になったのだろう。
歩いていると、いかにも中学生secondary schoolといった風情の男の子が近づいて来て
"Hey Man! (Have you) Got a lite (light)?"
(兄ちゃん、火ある? って言う感じですか)
—タバコ吸わないからね。
べつにお金を求める訳でもなし。ススッと向こうへ消えていく、そんな所。
近くで木曜と土曜に市が立ちます。八百屋とか肉屋とか、それから日用雑貨、下着、靴、菓子、花。道なりに200メートル程がにわかに活気づきます。
地元の人の会話を真似てみる。
「グラニースミス(青リンゴ)1ポンド!」
リンゴの山の中からいくつかを掴んで秤にのせ、袋にゴソゴソッと入れてくれる。
普段は人通りのまばらな商店街。フィッシュ・アンド・チップスfish and chips屋があり、そこには人の出入りもあります。観光地のそれはあまり旨くはないけれど、ここはなかなかいける。友人の香港人は中国人が経営する店が旨いと言う(揚げ物が上手いということか?)。でもイギリス人の店も悪くない。この店も冷凍ものの魚を使わないとか、こだわりがあるらしい。そもそもフィッシュ・アンド・チップスは労働者階級の肉のかわり。ボリュームがありすぎるのでチップスだけをたのむ(ポテトチップスではありません、念のため。ちなみにポテトチップスはcrisps)。フレンチフライというのともちょっと違って(イギリス人はフランスが嫌いです)、チップスは親指大の太さのジャガイモをラードで揚げる。
まずは "Open or Wrap?"。
—もちろん今すぐ食べたい。
"Salt?"
—お願いします。
"Vinegar?"
茶色いモルトビネガーが合う。絶対に。
こっちの人には紅茶に入れるミルクもそうだけど、有無を言わさぬ「定量」があるらしい。お店の人がザザッとかける。でもこれが旨いんだな。
振り返ると1本の高層団地。
subject: キッチン date: 2005年11月11日 19:19:43:JST
新しい同居人flat mateはギリシャ人とスペイン人。彼ら、夕方になるとそれぞれ友人たちが迎えに来てお出かけ、夜半過ぎに戻ってくる。毎日です。そういう文化圏が世界にはひとつ以上存在するという事ですね。彼らが毎晩一体何をしていたのかについてはあまり興味ありませんが、毎晩何を食べていたのかは非常に気になります(結局聞く機会を逃しました)。クリスマスの時期に一度だけ、ギリシャ人ソテリスがお母さんに聞いたとかのレシピでお料理。パーティーに持っていくのだとか。
1. 鳥手羽元にオリーブオイルをペチャペチャまぶす
2. ゆでる。以上。
これははたして旨いのかどうか?
というわけで、夜はたいてい私ひとり台所を独占し麻婆豆腐を作ったりします。ところでイギリスでは基本的に豚のひき肉minced porkというのを売っていません。ためしに近所の肉屋で挽いてくれと言うと嫌がられました。牛は挽くのに...。そんなものは自分が包丁でたたけばすむのですが、ここは「乗りかかった船」と思い(ちょっと違うか?)いろんな肉屋に聞いてみた結果、アジア系の店主のお店では挽いてくれました。ステーキ用腿厚切り肉をひょいと掴んでミンチ機に。
ちなみに、豆腐はどこだったか日本のメーカーが作ったもの(牛乳パックのような容器に入っていて長期保存ができます)が日本食材店に行くと買えます。
2年生になって学校のスタジオで隣り合わせになったジェイソンが、実は同じ高層団地の住人だという事が判明しました(彼はウエールズの出身で、面白がって悪いゲール語を私に教えようとします)。お父さんがイタリア人で、(女の子も含めて)たぶん私の周りのイギリス人で唯一料理が出来る男です。私が読んでいた吉本ばななさんの『キッチン』(英語版)に興味を持ったらしく、ならばと思いたち、彼にカツ丼を食べさせてみる事にしました。カツ丼は私の記憶が確かならば「衣がついて揚げてある豚肉が醤油のソースに浸っている丼」という英語だったと思います(英語自体は思い出せません)。
お返しにミートソースのスパゲッティーをごちそうになりました。あっさりと煮込んだソースで、日本のそれと違いトマトのフレッシュな香りがし、なかなか美味でした。
subject: おさかな date: 2005年11月12日 11:42:06:JST
鮮魚に力を入れているスーパーで売っている魚介類: 鮭salmon、ニジマスrainbow trout、タラ数種cod他、たまに鰯sardine。ヒラメ(有名なDover sole 他plaiceなど)。海老(大きなのはprawn、小さいのはshrimp)、ホタテ貝scallop(こっちのは小さい)、ムール貝mussel。牡蠣は専門店にしかありません。燻製smokedのタラ、ニシンherring、鯖mackerel。
これ以上はどうしても思いつかない。一般的イギリス人の食卓にのぼるのはこのぐらいでしょう。
星司君はロンドン東部のハックニー地区に住んでいました。「昼飯でも作るからおいでよ」と言われ、バスを乗り継ぐ。地下鉄が通っていないのでバスが交通手段。
土曜日、晴れ。まずはにぎわう市でお買物。私の近所とは住んでいる人種が違うので当然売られているものも違います。中でも目を惹くのはカリブ系の人たちのお店。山のような青いバナナ、ココヤシ、タロイモ。干し魚というのもあって、なんと言うか、丸のままの魚の形状をとどめ、日本で言えば棒ダラ並みにカチコチ、色は焦げ茶。幾種類の干し魚がいくつものバケツに無造作に突っ込んであり、もう釘付けです(星司君はその後それを作品に使っていました)。
でも今日の目当ては生魚。二人でぶらぶらと、でも真剣に魚を吟味。はじめはマグロ(筒切りステーキ用)を買って鉄火丼にしようかという話。私は大丈夫か少し心配。でも考えてみれば冷凍で南洋からやってくるから比較的安全か。しかし、状況は変わる。
「これ、いこうか?」
—それはどう見てもアジ。ふむふむ。
「これ、カツオじゃない?」
—ああ、それは紛れもなくそれはカツオ。
星司君はうきうき。私はちょっと心配。なにしろ「生で」この魚たちを食べようとしているのは私たちだけなのは間違いない。ちなみに魚屋の兄ちゃん、アジはjacks、カツオはtunaと言っていました(カツオはちっちゃいマグロという事か??)。
星司君は手際よく魚をおろし、アジはショウガとネギでタタキに。カツオはまあマグロと一緒だろうという事でやっぱり丼に。居酒屋でバイト経験のある彼は割り箸を器用に使ってアジの踊る動きを表現...。
subject: クラスティー date: 2005年11月14日 22:24:24:JST
洗濯物がたまるとランドリーに行きます。今度の寮には洗濯の施設がありません。歩いて5分の近所の人が集まるランドリーへ。普通こういう施設は大きな通りに面した商店街の端のほうにあるのですがここは住宅地の中。なんでも、もともとは公衆浴場だった所で、入り口の外壁はタイルばりで、Public Bathと書かれた看板が残っていました。
開店同時に行くのは気がひけるので、洗濯の1サイクルが終る9時45分頃を見計らって出かけます。
洗濯物の大きな袋を抱えてうろうろしていると、見かねたおばあちゃんが立ち上がり、脇においてあるかごをひょいっと取り上げ、誰かの洗濯物を洗濯機の中からポンポンポンとそのかごの中に移し「ここ、使いなさい。ダーリン」と言ってくれたりします。洗濯物と洗剤を入れ、お金を入れて扉を閉めて、私も一旦部屋に戻ります。
途中のコーナーショップ(タバコ、お菓子や日用雑貨が売っている小さなお店です。街角にあるからcorner shop)で新聞と山型食パンを買います。ガラスのふたがついた古い木のケースの中に届いたばかりのパン。
そもそも、この店の前でパンを抱えたジェイソンに会ったことがこのささやかな習慣の始まり。「Hideo 、うちの親父がさ、息子よ、良いパンを食べなくちゃいけないよ、ってよく言ってたよ」
ちょっと訳が変ですね?
そしてニコニコしながら、
「なっ、クラスティーでうまそうだろ。」
ジェイソンは「食」については信用できる。
朝10時。薄茶色の紙袋に入った、まだぬくもりが少し残っているパンを抱えて。スーパーの食パンでもパン屋のそれでもなく。それがこの街の雰囲気。
subject: 1杯の紅茶 date: 2005年11月16日 22:16:46:JST
11月のロンドンはもう冬です。でもここに越してから、週末は散歩に出かけることにしています。日本で買った安物のハーフコートを引っ掛け、南の方角に7〜8分歩くと、有名な「蚤の市」カムデンロックマーケットCamden Lockがあります。どんなガイドにも載っている有名な観光地。地下鉄のカムデンタウンという駅から歩くとそこはほとんど竹下通り状態の賑わいですが、うちの寮からは逆方向。
カムデンロックマーケットは、通りに面した部分が3階建ての建物で、奥にはストールstall、つまり屋外にテントを張った小さなお店たち。建物の方の内部はアンティークやらエスニックな雑貨、宝飾、蝋燭とか玩具、その他なんだか得体の知れないもの。クレジットカードも使えるいわゆるお店。よく蚤の市を「冷やかす」とか言いますが、そんな余裕のある日本人はいません。
ひととおり中をながめてから表に出ると、さすがに寒い。『ベルリン天使の詩』のように両手をこすり合わせるのも良し。
ストールの方ではぺらぺらなアクセサリーとか、生活雑貨とか、もともと狭い通路に人があふれています。スペイン人らしい観光客は何かを値切っています。日本人もいます。私は何を買うでも無く、ただ歩きます。
1杯の紅茶。A cup of tea, please。
イギリス人は一日10杯ぐらい紅茶を飲みます。いつでもただの紅茶。お店の人が紙コップに紅茶を注ぎ、ついでにミルクまで入れます。かじかんだ手を温めながら運河に向かった柵に腰かけ、紅茶をすすります。からだに暖かさが戻ってきて、なんだかちょっとイギリスに慣れてきたような気になりました。1杯の紅茶。イギリス。
subject: クリスマス date: 2005年11月20日 9:43:27:JST
日が短くなってきましたね。なんと言ってもロンドンの冬は午後3時には暗くなり始め、4時には完全に夜。冬は曇っているのできれいな夕焼けが見られる訳でもなく、ボリュームを反時計回りにギュッと絞るような、そんな感じ。
暗さに気付くのは街に明かりが灯るから。ロンドンの街中は買い物客や仕事帰りの人で混み合い、クリスマスのイルミネーションに足を止めます。有名なのは例えばハロッズ。建物の輪郭に沿って電球を並べているだけなのですが、何となくお城状の外観をもつ近代建築なので、夜空を背景に描き出される平面的な輪郭がきれいです。店内も大きなツリーやクリスマスのディスプレー。でも、なんだか違う。日本と。
そもそもデパートもスーパーも商店街にもBGMというものがありません。始めてイギリスに来たときはそれなりのショックを受けますが(肯定的に)、しばらくするとそれが当たり前の生活になります。あらためて「無い」ことに気付かされるのがこの季節。頭の中で30年近く悩まされてきたクリスマスソングのボリュームを絞る、ついに。残ったのは、人のざわざわとした、感じ。もうすぐ12月。
朝は8時でも薄暗い。
いつもの週末のように近所の市にでかけます。吐く息は白く、お店の人も寒そうです。この時期はクリスマスのオーナメントや絵本、クリスマスカードも並びます。ニットの帽子と手袋も。ここでもやはり、こころなし人がざわざわとしているようです。
この年、はじめて端っこの店でクリスマスプディングChristmas puddingを買いました。赤いプラスティックの容器。2ポンド50ペンス。ちなみに私がイギリス土産で買って帰ってくるハロッズのluxurious(もちろん高級ってことですね)クリスマスプディング(小)は6ポンド99ペンス。
帰り道、ペンキで水色に塗られたドアにクリスマスリースが打ちつけてある家を見つけました。庶民のクリスマス。
Merry Christmas