2014

うつくしいくにのはなし - a tale of a beautiful country

中根 秀夫 Hideo Nakane

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ながれのきしのひともとは、
みそらのいろのみづあさぎ、
なみ、ことごとく、くちづけし
はた、ことごとく、わすれゆく。

『わすれなぐさ』 ウィルヘルム・アレント (上田 敏 訳)*

 

2013年9月1日。福島県双葉郡楢葉町前原・山田浜地区は、木戸川の河口南東方向に広がる集落だ。鮭が遡上する小さな河川と豊かな自然に育まれた土地と聞く。日曜日だが国道沿いの民家に人影は見られなかった。

1.福島市内から常磐自動車道をいわき市に向かい、そこから浜通りを北上する。浜通りは福島県の東部、阿武隈高地の西側の沿岸地域を指す。広野ICを降りると正面にJヴィレッジが見えてくる。Jヴィレッジは東京電力が出資し寄贈した、広大なサッカー・トレーニング複合施設で、福島第一原子力発電所の事故対応の前線基地となった。右手には停止中の広野火力発電所の煙突が2本見える。左に折れるとすぐに双葉郡楢葉町の入口で、ここから先が原発20キロ圏内となる。

 国道6号線・陸前浜街道を北上すると海側に並走する常磐線の木戸駅があり、その奥に広がる集落が前原・山田浜地区だ。内陸側には数日前にオープンしたばかりのコンビニの仮店舗が見える。幹線道路脇に閉鎖されたままの飲食店やガソリンスタンドが立ち並ぶなか、新しい看板と人の動きは目を引く。

2.2011年3月11日。東日本を襲った震度6強の地震直後、波高10メートルを超える巨大な津波が海沿いの住居と農地を押し流した。福島第一原発から南に15キロの距離にあるここ前原・山田浜地区では、津波の後始末をする間もなく翌日に避難を命じられ、その後の立ち入りは厳しく制限された。

 翌2012年8月に楢葉町のほとんどが避難指示解除準備区域となり、夜間を除いて自由に出入りが可能となった。津波被害による瓦礫の撤去も2013年6月末までに完了した。その2ヶ月後、そして震災・原発事故から2年4ヶ月目の夏の終わりに、私はこの奇妙な静けさをたたえる前原・山田浜地区にいる。広い視界の先には損壊し生活を剥奪された家屋が、あるいは道路端の畑には地面に突き刺さったままの白い車が、時を忘れたかのようにその場にとり残されている。

3.楢葉町全体での津波の犠牲者は13人。一人ひとりの命の重さとは別に、私たちがこの数を少ないと感じるとすれば、震災前の人口にして7700人の楢葉町の過疎化について、そして第一原発からわずか11キロの、富岡町と楢葉町にまたがる二つ目の原子力発電所の受け入れの理由についても考える必要があるだろう。震災から3年をむかえる楢葉町の震災関連死は99人にのぼる。他の被災地と比べても福島県の震災関連死は飛び抜けて多い。

 不通となっている常磐線の広野駅(広野町)から竜田駅(楢葉町)まで8.5キロの開通に備え、周辺地域の除染作業が進められている。放射能にまみれた土壌や草木などは大きな黒い袋に回収され、日々仮置き場に積み上げられる。奥に見える白い建物はこの地区の瓦礫の搬入施設で、津波に流された「人々の思い出の品」もここで保管されている。周辺の空間線量は福島市内とほぼ同じレベルにまで下がっている。

 

 

*『わすれなぐさ』 “VERGISSMEINNICHT” について

Ein Bluemchen steht am Strom
Blau wie des Himmels Dom;
Und jede Welle kuesst es,
Und jede auch vergisst es.

上田敏(1874〜1916)による訳詩集『海潮音』(1905年出版)に収められたこの小さな美しい一片の詩は、ドイツ初期自然主義派の抒情詩人ウィルヘルム・アレント(Wilhelm Arent /1864~1913)による。アレントは、今では本国ドイツに於てほとんど忘れられた詩人であり、それゆえに『わすれなぐさ』は、上田によるこの訳詩集の中にのみ生き続けている、流れの岸の一本(ひともと)の花でもある。

 

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