2000

「子供の情景」Kinderszenen にむけて 空気抜きのある家

中根 秀夫 Hideo Nakane

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空気抜きのある家この絵を迷いのない大胆な線でサッサッサと描いた後、ただ一言「屋根の空気抜き、あるなぁ」と教えてくれました。*1

 

 

「子供」も「情景」も、リリカルな言葉だと感じるのは実は錯覚であって、制度による内部への囲い込みが虚像を作りだす装置として働くだけの理由である。例えばアウトサイダー。一見何かの才能のような言葉だが、自分以外の者を境界を引いて内と外とに区別する側から見た視線である。しかも自分は境界の内側にいると疑わない。

「空気抜きのある家」は自閉症の子供たちの描画集*からの引用だ。重たい屋根の上にある煙突は「空気抜き」として機能する。堅く引かれた境界線に「空気抜き」は風穴を開け、内部と外部の圧力を一定に保つ。そうすれば内側にいて屋根の重みに押し潰されることもなく、外側にいて制度からの疎外感にいらだつこともない風通しの良さが生まれる。これはあらゆる破綻した制度に対して有効である。今、新しく制度の枠組みを作る前に行うべきことは、制度に「空気抜き」を開けてまわることなのではないだろうか。自分が内側で安堵するための制度作りは考え直さなければならない時期にきている。私たちひとりひとりが考えることさえすれば簡単なはずである。

 

日本自閉症スペクトラム教育研究会報 2001年4月25日号

「アウトサイダー・アート」というのは美術用語で、つまり「美術の流れの外側にいる人」という意味である。この言葉についてもう少し考えていきたいと思う。

「アウトサイダー・アート」という言葉が美術史の中で登場するのは1972年に出版されたロジャー・カーディナルの同名の著書*2からであるが、その概念は精神医学や精神分析学の研究が進む過程で生まれたといっても良い。1922年に出版されたハンス・プリンツホルンの『精神病者の芸術性』*3における強迫的幻視者たちの作品は、ドイツではパウル・クレー、またフランスのシュールレアリストのアンドレ・ブルトン、マックス・エルンストらの作品に影響を与えたことは良く知られている。

ジャン・デュビュッフェもまた『精神病者の芸術性』に感化されたひとりで、45年頃から自分の作品および思想の背景として、精神障害者達の造形作品を戦略的に取り入れるようになる。彼の言うところのそれら「反=文化的」(純粋な芸術に対しての意)な作品を「アール・ブリュット」(フランス語で生の芸術)と名付け、積極的に作品を収集し、展覧会*4を開催する。そのコレクションは76年にスイスのローザンヌにあるアール・ブリュット美術館*5に譲渡され、広く一般にその作品が知られることとなる。つまり「アウトサイダー・アート」という言葉は、デュビュッフェのいう「アール・ブリュット」に包括的な枠組みを与えるために、70年代に入ってから新たに設けられた言葉(英語圏の)ということができる。

「アウトサイダー・アート」という言葉を定義的にまとめてみると、

a.知的、身体的障害者による美術作品
b.専門的な美術教育を受けなかった人による作品
c. aとbを含め「美術の流れの外側」にいる人による作品

のようになるだろうか。

aはデュビュッフェのいう「アール・ブリュット」の理念そのもので、精神障害者、知的障害者、視覚障害者などによる作品をさす。bは、例えばブルトンとも親交があった郵便配達夫フェルディナン・シュバルの幻想的建築《理想宮》*6をあげることができるだろう。子供の絵もここに入りそうだが(子供をアウトサイダーと呼ぶことがはばかられるからかもしれないが)、シュタイナーらによって別の経緯で発達してきたこともあり、一般的に「アウトサイダー・アート」と呼ばれることはない。そしてc、「美術の流れの外側」。ひとつのヒントは、それでは「美術の流れ」とは何かということにある。そもそも美術には内側も外側もなかった。つまり「西洋」に脈々と流れてきた美術だけが「美術」だったのである。「近代」以降、初めて外側が生まれ、ここで「美術」という制度も誕生する。

かつてエドワード・サイードが78年に書いた『オリエンタリズム』*7は、西洋が持つ、東洋へ対する無意識の優越的位置関係を子細に考察した書である。サイードは言う。

「オリエンタリズムとは、我々の世界と異なっていることが一目瞭然であるような世界を理解し、場合によっては支配し、操縦し、統合しようとさえする一定の意志または目的意識-を表現するものというよりはむしろ-そのものである。」

この指摘は忘れるべきではない。


92年から93年にかけてロサンゼルス・カウンティ・ミュージアムの企画で、スペイン、ドイツ、日本と巡回した記念碑的な展覧会Parallel Visions - Modern Artists and Outsider Art(日本では「パラレル・ビジョン- 20世紀美術とアウトサイダー・アート」として開催)*8は、「美術」におけるインサイダーとアウトサイダーを「パラレル」につまり「並列的」にとらえ直そうとする画期的な展覧会だったと言われている。だが、両者は力関係において明らかな差があり、内側と外側では残念ながら表題のように「パラレル」ではない。このことにインサイダー、つまり「美術」において支配的地位にある側のオリエンタリズムを嗅ぎ取るのは強引すぎるだろうか。

さて、冒頭の絵「空気抜きのある家」に戻ろう。作者は自閉症だ。だが、あえて自閉症患者に特有な視覚能力の優位などは考えずに、静かにこの絵を見てゆくことにしよう。

鉛筆で一気に描かれた家。重たい屋根。屋根の上にある煙突。その煙突は「空気抜き」だという。堅く引かれた境界線に「空気抜き」は風穴を開け、内部と外部の圧力を一定に保つ。そうすれば境界線の内側にいて屋根の重みに押し潰されることもなく、外側にいて疎外感にいらだつこともない風通しの良さが生まれる。

境界線を引くことは、つまり制度を作ることだ。境界線を引いて内側と外側を分ける「美術」は、「近代」が生んだ制度である。当然、私達の社会は制度、家も(家族、婚姻なども含めて)やはり制度である。私達と同じ時代に、同じ場所に生きている作者の目は、この事実を確実にとらえている。もし私達の方がその境界線に気がつかないとすれば、それは私達が制度の内側にいるからではないだろうか。

「アウトサイダー」とは、「自分以外の者を境界を引いて内と外とに区別する」側から見た視線である。しかも自分は境界の内側にいることを疑わない。内側にいる私達が唯一できることは、制度に「空気抜き」を開けてまわることなのではないだろうか。自分が内側で安堵するための制度は考え直さなければならない時期にきている。

 

*1 寺山千代子/描画研究会編『風の散歩 小さな芸術家たち』コレール社, 1999 絵/「空気抜きのある家」石田健
*2 Roger Cardinal: Outsider Art (New York: Praegar, 1972).
*3 Hans Prinzhorn: Bildnerei der Geisteskranken (Berlin: Springer, 1922)英語版はArtistry of Mentally Ill (New York Springer, 1972)
*4 1949年「文化芸術となったアール・ブリュット展」、1950年「国際精神病理学美術展」など
*5 ローザンヌ市が作品の保存、管理、展示をおこなう。現在の作品数は2万点。デュビュッフェは1985年に亡くなるまでこのコレクションの精神的、財政的支援を続けた。『アウトサイダー・アート』求龍堂, 2000
*6 Ferdinand Cheval (1836〜924) 南フランスのオートリーブにすんだ郵便配達夫が43歳から建てはじめ、40年以上も費やし石を積み重ねて作った建築物。荒俣宏『奇想の20世紀』NHK出版, 2000
*7 エドワード・W・サイード『オリエンタリズム』平凡社ライブラリー, 1993
*8 『パラレルビジョン- 20世紀美術とアウトサイダー・アート』淡交社, 1993 日本では93年に世田谷美術館で展覧会が行われた。 

 

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